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和歌山県田辺市へと三宝柑の農場視察に行ってきました。
天候に恵まれて視察日和といったところでした。いつもながら、秋も深まり冬の足音聞こえる信州とは違い初秋を思わせる気候でして、この温暖さはうらやましくなるなることがあります。
さて、三宝柑の状況ですが、今年は非常に果皮に傷が多いです。
こういった感じの傷のある実があまりに多く、事前情報はあったものの少々びっくりしています。
なぜこのように傷が多いのかと言いますと、今年の5月に紀南地方を襲った暴風、7月のゲリラ豪雨、最近記憶に新しい台風18号と、異常なまでの災害続きだったせいです。
(7月のゲリラ豪雨の新聞記事がこちらにあります)
上の山の写真を見ると、山の中央付近に縦に一本白い筋が見えますが、これが7月のゲリラ豪雨で死者を出した土石流の跡です。
土石流発生現場は4か月経った今もこのようになっていまして、自然災害の爪痕が生々しく残っています。
加えて、今年の8月以降の大干ばつ(田辺市では50日間、まったく降雨が無かったそうです)のせいで、三宝柑の実の大きさは異常に小さく、福居袋にできそうなサイズのものは数えるほどしか無い状況です。まったくもって、あまりの前例の無いひどい状況に頭を抱えるばかりです。
今年の三宝柑福居袋は例年よりも遅れて12月に入ってからの発売となりそうですが、自然災害と異常気象の影響は免れませんでして、その後の収穫の見込みは今のところ全く不透明といったところです。
すべての農作物に言えることですが、天候の影響ばかりはどうしようもありません。今年の三宝柑福居袋は皮に傷が多いものとなってしまい、お客様にご迷惑をおかけすることになってしまうことが予想されますが、なにとぞこのような産地状況をご理解いただきたくお願いいたします。
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丸子町の砂原峠に小鍋立(こなべだて)の湯という温泉跡があります。
以前は皮膚疾患に効く温泉ということで湯屋もあったそうですが、いつの頃からか今のような更地になっています。
こちらが湧き出している温泉の井戸だということです。鉱泉ですので暖かくはありませんが、底の方から断続的に泡が吹き出している様を見ると、何となく温泉ぽい感じが湧きます。
さて、この「小鍋立」の名前の由来ですが、伝説があります。ちょっと調べてみましたが、インターネット上に情報がありませんでしたので、私が聞いたところの伝説の概要を紹介してみます。
昔、砂原峠に山姥が住んでいました。恐ろしい顔をした山姥がふもとの村々に悪さをするので、村人たちはとても恐れていました。
そのうち、山姥は村から娘を一人さらって来て、自分の召使としてこき使い始めました。娘は山姥が恐ろしいもので、逃げ帰ることも出来ずに山姥の言う通りにするしかありません。
そうこうしてある時、山姥が娘を一人置いて家を留守にする日がありました。娘は食べるものもろくに与えられていませんでしたので、鬼の居ぬ間にということで、米やら野菜やらを入れて鍋を作り始めました。
さて鍋が出来上がりさあ食べよう、という時に鬼婆が家に戻ってきてしまったのです。見つかれば殺されると思った娘は、とっさに鍋ごと井戸に放り込んでその場をやり過ごしました。
ところが、その井戸の水で毎日のお風呂や炊事をしているうちに、不思議なことにあばたやできものだらけだった山姥の顔がつるつるとしてきたのです。そうなってくると日に日に山姥の心もおだやかになり、いつしか人の良いお婆さんになってしまったのです。
こうして、娘とお婆さんは二人仲良く湯屋を始め、ふもとの村々からのお客でたいそう繁盛したそうです。
というようなお話でして、小鍋立の湯が皮膚病に効くというところから作られたものなのかも知れません。山姥すら人の良いお婆さんになってしまう、という話はなかなかに微笑ましく、楽しいお話です。
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夏過ぎからすっと少雨状態が続いていましたが、このところまとまった雨が上田地方にも降っています。今日は久しぶりに雨が上がりましたが、また明日から天気は崩れるようです。
さて、今日は間近に迫った紅玉加工を控えて、立科にて紅玉の収穫・入荷打ち合わせをして来ました。紅玉に限らず今年のりんごは大玉傾向、特に自然災害の影響も受けませんでしたので豊作傾向のようです。
熟度の進み具合は昨年とほぼ同じか、若干遅れ気味といった感じでしょうか。果皮の着色具合はこのところしばらくの曇天続きで、やや悪いかも知れません。ですが味は良好そうな印象です。
来週から五輪久保の紅玉の入荷が始まります。紅玉の加工が始まると秋もいよいよ深まってきたという感がありまして、ついこの間にアンズの加工で夏の到来を感じていたはずなのにと、季節の移り変わりの早さに驚かされます。
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いよいよぶどうコンコードが完熟し、昨日から収穫されて果実加工が始まりました。
入荷したコンコードです。
ナイヤガラ加工の時にも感じていたのですが、今年のブドウは完熟しても酸味が残る傾向があるようです。私どものようなジャムやみすゞ飴のような加工原料としては、この酸味が製品に爽やかさを加えてくれるので良いのですが、ワイン原料としては今年のブドウは少々使いづらいのではないでしょうか。
それにしても、今年のコンコードは粒が小さく軸が折れやすいので、実もぎ(ブドウの粒を軸から外す作業)が大変です。昨日の実もぎ作業はかなり難航し、予想外に時間がかかってしまいました。味の面もさることながら、作業性の面でも、生き物である果物は毎年様子が全く違ってくるのが難しいところです。
土日返上でコンコード加工となりますが、美味しいジャムやみすゞ飴になるよう頑張って加工したいと思います。
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丸子町の蛍の名所で有名な狐塚ですが、この狐塚という地名の由来となった塚があります。その名も狐塚でして、今もその塚と狐を祀った稲荷神社が残っています。
こちらが狐塚の稲荷神社でして、向陽院という比較的大きなお寺の横にあります。
稲荷神社らしく、本殿にはたくさんの狐の焼き物が奉納されています。
さて、狐塚がなぜそのような名になったかと言いますと、これには伝説があります。インターネットで検索してみましたがあまり詳細なものがありませんので、伝説の概略を紹介しておきます。
昔々、この地を治めていた偉い人のお墓(塚)に、いつのころからか白狐が住みつきました。この白狐は人をだましたりすることもありませんでしたので、村の人たちはお犬様と呼んで大切にしていました。それどころか、村に悪いことが起こる前の日には決まって、白狐が鳴いて歩き回って村中にそのことを知らせてくれていました。
村中が大火事になった前の晩も白狐が鳴いて知らせてくれたもので、村の人はだれも死ぬことが無かったそうです。
そんなわけで、この村を狐塚と呼ぶようになったのです。
というようなお話でして、狐が村の吉事・凶事を知らせてくれるという狐信仰の類型と考えられます。また、古墳に異界の者が住みつく、という伝説も全国的に数多くみられまして、上田にも塚穴の主が膳や椀を貸してくれる、という椀貸し伝説もいくつか見られます。
これが伝説の舞台の狐塚でして、稲荷神社本殿の裏にあります。今こうして見ると、ちょっと小さすぎて狐が住みつくには心もとないような気もしますが、稲荷神社の立派さを考えても、伝説の白狐が村人の信仰を集めていたことを偲ぶことができます。
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角間渓谷で少し紹介しましたが、角間渓谷の鬼「毘邪(ひや)王」は、坂上田村麻呂に捕まった後に真田町傍陽の実相院というお寺の松の木に鎖でくくり付けられたと言われています。
実相院の入口にある石柱に「金縄山実相院」とありますが、この金縄(きんじょう)とは毘邪王がくくりつけられた鎖に由来すると言われています。
さて、松にくくり付けられた毘邪王ですが、あまりに暴れて泣き叫ぶもので、その声で近隣の人々は夜も眠れないほどだったとのことです。そこで仕方が無く、松にくくりつけたまま毘邪王を殺したと言い伝えられています。毘邪王のなきがらはその場に埋められ、墓所に鬼石を鎮めとして祀っている、とのことです。
多宝塔が乗っている岩が鬼石です。実相院の本堂の横にあります。
毘邪王をくくりつけた松の木を鬼松と言って、鬼石の傍らにあったと言い伝えられていますが、長い歳月の間にたびたび枯死しては植え替えられまして、今ある鬼松は昭和31年に植えられた四代目だそうです。
植え替えられて間もない松の木ですので、まだまだ歴史の重みを感じさせるような姿ではありませんが、このような形で脈々と伝説の木が受け継がれているのは興味深いところです。
また、毘邪王が退治された後も、その天地を揺るがさんばかりの暴れようの後遺症で、近隣の村人に歯が痛くなる人がたくさん出たそうです。そこでこれは毘邪王の祟りだとして、鬼石の傍らにお地蔵様をお祀りしたところ、ぴたりと歯痛が止んだとの伝説もあります。
このお地蔵様も実相院の敷地内に「鬼松地蔵尊」という名で現存していまして、地蔵堂の中に大切に祀られています(上の鬼石の写真の石造多宝塔の後ろに写っているお堂が、その地蔵堂です)。
地蔵堂と、中に祀られている鬼松地蔵尊です。
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